カラオケでダメになる日本|足が細く見えるストッキング

カラオケそのものが悪いわけではない。しかし、使い方を間違えると、人々の音楽に対する感性を退化させることになる。そして、採点機能こそは、その間違った使い方の最たるものである。

 

音楽は感覚器官を通して人間の感情領域に直接働きかける。絵画や彫刻に比べて、それははるかに直接的なものだ。感覚器官とその感情領域の反応全体は感性という言葉で表すことができる。感情というと、喜怒哀楽しか思いつかない人も多いだろうが、感情はもっと多様で、それらのほとんどを表す言葉もなく、しかし、多くの人がそれを感じることができるものだ。もちろん、人によりその多様性は異なり、幼児は好感反感くらいしかないが、経験と知識を通して、人は感情の多様性を広げていく。感性によって生じた感情は後から想起することができるが、その発生は現在という時間の中で生じる。感覚器官、特に視覚を通したものに対して、理性も瞬時に反応するが、理性は常に判断を伴うものであるのと、複雑な論理的思考は常に過去のデータしか処理できないことから、どこまでが理性でどこまでが感性かの境界はかなりはっきりしている。音楽は、もちろん他の芸術もそうだが、常に感性に訴えるものである。

 

カラオケの採点機能は、要するに比較判断をするものである。完全に理性の領域の処理である。だから、これはその人の歌が我々の感性にどういう風に訴えてきているかを、示しているわけではない。言い換えれば、点数が高くても、感性に全く訴えてこない歌というものがあり、歌のうまさではなく、声のコントロールの技術を示しているに過ぎない。それでも、なお、それは優れたテクニックということであり、歌が上手であると言っていいのではないか、という意見もあるだろう。それこそ、実は既に理性と感性の区別ができず、音楽の本質を見失ってしまったことを示している。つまり、感性が衰え、理性によって判断することで、演奏の質がわかると勘違いしているのだ。TVの影響で、実際、点数が高いと歌がうまいと勘違いしている人が増えているのではないだろうか。これは単なる余興でしかない、とわかっている人は非常に少ないと思う。

 

いわゆるテクニックと演奏の質というものは、昔からいろいろ議論があるが、クラシックにおいては特に、テクニックがなければいい演奏ができないという、根拠のない説が根強く信じられている。しかし、そんなことはない。下手くそな素人に、一言アドバイスするだけで演奏が見違えるようになるのは、普通のことだ。また、裏返しの、テクニックさえあれば上手であるというのはクラシックに限らず、もっと広く信じられている。カラオケ採点機能は、この説をますます強固なものにすることになるだろう。いくら高い点数を取っても、何百年それを続けても、音楽の秘密の園に入ることはできない。理性の領域と感性の領域は異なる。原理的に無理である。